かめせい》の団扇《うちわ》などが茶の間に放《ほう》り出《だ》されるようになった。それだけならまだ好いが、彼は長火鉢《ながひばち》の前へ坐《すわ》ったまま、しきりに仮色《こわいろ》を遣《つか》い出した。しかし宅のものは別段それに頓着《とんじゃく》する様子も見えなかった。私は無論平気であった。仮色《こわいろ》と同時に藤八拳《とうはちけん》も始まった。しかしこの方《ほう》は相手が要《い》るので、そう毎晩は繰り返されなかったが、何しろ変に無器用な手を上げたり下げたりして、熱心にやっていた。相手はおもに三番目の兄が勤めていたようである。私は真面目《まじめ》な顔をして、ただ傍観しているに過ぎなかった。
この兄はとうとう肺病で死んでしまった。死んだのはたしか明治二十年だと覚えている。すると葬式も済み、待夜《たいや》も済んで、まず一片付《ひとかたづき》というところへ一人の女が尋ねて来た。三番目の兄が出て応接して見ると、その女は彼にこんな事を訊《き》いた。
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」
兄は病気のため、生涯《しょうがい》妻帯しなかった。
「いいえしまいまで独身で暮らしてい
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