に与えた。
兄の在学中には、まだ地方から出て来た貢進生《こうしんせい》などのいる頃だったので、今の青年には想像のできないような気風が校内のそこここに残っていたらしい。兄は或上級生に艶書《ふみ》をつけられたと云って、私に話した事がある。その上級生というのは、兄などよりもずっと年歯上《としうえ》の男であったらしい。こんな習慣の行なわれない東京で育った彼は、はたしてその文《ふみ》をどう始末したものだろう。兄はそれ以後学校の風呂でその男と顔を見合せるたびに、きまりの悪い思をして困ったと云っていた。
学校を出た頃の彼は、非常に四角四面で、始終《しじゅう》堅苦しく構えていたから、父や母も多少彼に気をおく様子が見えた。その上病気のせいでもあろうが、常に陰気臭《いんきくさ》い顔をして、宅《うち》にばかり引込《ひっこ》んでいた。
それがいつとなく融《と》けて来て、人柄《ひとがら》が自《おの》ずと柔らかになったと思うと、彼はよく古渡唐桟《こわたりとうざん》の着物に角帯《かくおび》などを締《し》めて、夕方から宅を外にし始めた。時々は紫色《むらさきいろ》で亀甲型《きっこうがた》を一面に摺《す》った亀清《
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