分の地面を取り込んでいた。その庭を東に受けて離れ座敷のような建物も見えた。
 帳場格子のうちにいる連中は、時間が余って使い切れない有福な人達なのだから、みんな相応な服装《なり》をして、時々|呑気《のんき》そうに袂《たもと》から毛抜《けぬき》などを出して根気よく鼻毛を抜いていた。そんな長閑《のどか》な日には、庭の梅の樹《き》に鶯《うぐいす》が来て啼《な》くような気持もした。
 中入《なかいり》になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚《おうよう》で呑気《のんき》な気分は、どこの人寄場《ひとよせば》へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく懐《なつか》しい。
 私はそんなおっとりと物寂《ものさ》びた空気の中
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