《よせ》へ講釈を聴きに行った。今の三越の向側《むこうがわ》にいつでも昼席の看板がかかっていて、その角《かど》を曲ると、寄席はつい小半町行くか行かない右手にあったのである。
この席は夜になると、色物《いろもの》だけしかかけないので、私は昼よりほかに足を踏み込んだ事がなかったけれども、席数からいうと一番多く通《かよ》った所のように思われる。当時私のいた家は無論高田の馬場の下ではなかった。しかしいくら地理の便が好かったからと云って、どうしてあんなに講釈を聴きに行く時間が私にあったものか、今考えるとむしろ不思議なくらいである。
これも今からふり返って遠い過去を眺めるせいでもあろうが、そこは寄席としてはむしろ上品な気分を客に起させるようにできていた。高座《こうざ》の右側《みぎわき》には帳場格子《ちょうばごうし》のような仕切《しきり》を二方に立て廻して、その中に定連《じょうれん》の席が設けてあった。それから高座の後《うしろ》が縁側《えんがわ》で、その先がまた庭になっていた。庭には梅の古木が斜《なな》めに井桁《いげた》の上に突き出たりして、窮屈な感じのしないほどの大空が、縁から仰がれるくらいに余
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