ものは、広いようで、その実《じつ》はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻《めぐ》らさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。
 それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極《きわ》めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確《たしか》める機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終《しじゅう》靄《もや》のようにかかって、私の心を苦しめている。
 もし世の中に全知全能《ぜんちぜんのう》の神があるならば、私はその神の前に跪《ひざま》ずいて、私に毫髪《ごうはつ》の疑《うたがい》を挟《さしはさ》む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶《くもん》から解脱《げだつ》せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前
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