《きずつ》けたくない。そうして私の前に現われて来る人は、ことごとく悪人でもなければ、またみんな善人とも思えない。すると私の態度も相手しだいでいろいろに変って行かなければならないのである。
 この変化は誰にでも必要で、また誰でも実行している事だろうと思うが、それがはたして相手にぴたりと合って寸分間違のない微妙な特殊な線の上をあぶなげもなく歩いているだろうか。私の大いなる疑問は常にそこに蟠《わだか》まっている。
 私の僻《ひがみ》を別にして、私は過去において、多くの人から馬鹿にされたという苦《にが》い記憶をもっている。同時に、先方の云う事や為《す》る事を、わざと平たく取らずに、暗《あん》にその人の品性に恥を掻《か》かしたと同じような解釈をした経験もたくさんありはしまいかと思う。
 他《ひと》に対する私の態度はまず今までの私の経験から来る。それから前後の関係と四囲の状況から出る。最後に、曖昧《あいまい》な言葉ではあるが、私が天から授かった直覚が何分か働らく。そうして、相手に馬鹿にされたり、また相手を馬鹿にしたり、稀《まれ》には相手に彼相当な待遇を与えたりしている。
 しかし今までの経験という
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