迎えながら、四分、三分、二分と意識しつつ進む時、さらに突き当ると思った死が、たちまちとんぼ返りを打って、新たに生と名づけられる時、――余のごとき神経質ではこの三|象面《フェーゼス》の一つにすら堪《た》え得まいと思う。現にドストイェフスキーと運命を同じくした同囚の一人《いちにん》は、これがためにその場で気が狂ってしまった。
それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀《びょうしょう》の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇《よみが》えった最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新らしい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、襯衣一枚のまま顫《ふる》えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独《ひと》り彼が死刑を免《まぬ》かれたと自覚し得た咄嗟《とっさ》の表情が、どうしても判然《はっきり》映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。
余は自然の手に罹《かか》って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻《さい》から聞いた顛末《てんまつ》を埋《う》めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然《りつぜん》と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、九仞《きゅうじん》に失った命を一簣《いっき》に取り留める嬉《うれ》しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである。
「もし最後の一節を欠いたなら、余はけっして正気ではいられなかったろう」と彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずとすんだ余には、彼の恐ろしさ嬉しさの程度を料《はか》り得ぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。それであればこそ、画竜点睛《がりゅうてんせい》とも云うべき肝心《かんじん》の刹那《せつな》の表情が、どう想像しても漠《ばく》として眼の前に描き出せないのだろう。運命の擒縦《きんしょう》を感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある。
それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまなかった。そうして寒い空と、新らしい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣《シャツ》一枚で顫《ふる》えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来《きた》ってやまなかった。
今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終《しじゅう》わが傍《かたわら》にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯《しょうがい》感謝する事を忘れぬ人であった。
二十二
余はうとうとしながらいつの間《ま》にか夢に入《い》った。すると鯉《こい》の跳《は》ねる音でたちまち眼が覚《さ》めた。
余が寝ている二階座敷の下はすぐ中庭の池で、中には鯉がたくさんに飼ってあった。その鯉が五分に一度ぐらいは必ず高い音を立ててぱしゃりと水を打つ。昼のうちでも折々は耳に入った。夜はことに甚《はなはだ》しい。隣りの部屋も、下の風呂場も、向うの三階も、裏の山もことごとく静まり返った真中《まなか》に、余は絶えずこの音で眼を覚ました。
犬の眠りと云う英語を知ったのはいつの昔か忘れてしまったが、犬の眠りと云う意味を実地に経験したのはこの頃が始めてであった。余は犬の眠りのために夜《よ》ごと悩まされた。ようやく寝ついてありがたいと思う間もなく、すぐ眼が開《あ》いて、まだ空は白まないだろうかと、幾度《いくたび》も暁《あかつき》を待《ま》ち佗《わ》びた。床《とこ》に縛《しば》りつけられた人の、しんとした夜半《よなか》に、ただ独《ひと》り生きている長さは存外な長さである。――鯉が勢《いきおい》よく水を切った。自分の描いた波の上を叩《たた》く尾の音で、余は眼を覚ました。
室《へや》の中は夕暮よりもなお暗い光で照らされていた。天井から下がっている電気灯の珠《たま》は黒布《くろぬの》で隙間《すきま》なく掩《おい》がしてあった。弱い光りはこの黒布の目を洩《も》れて、微《かす》かに八畳の室を射た。そうしてこの薄暗い灯影《ひかげ》に、真白な着物を着た人間が二人|坐《すわ》っていた。二人とも口を利《き》かなかった。二人とも動かなかった。二人とも膝《ひざ》の上へ手を置いて、互いの肩を並べたままじっとしていた。
黒い布で包んだ球を見たとき、余は紗《しゃ》で金箔《きんぱく》を巻いた弔旗《ちょうき》の頭を思い出した。この喪章《もしょう》と関係のある球の中から出る光線によって、薄く照らされた白衣《はくい》の看護婦は、静かなる点において、行儀の好い点において、幽霊の雛《ひな》のように見えた。そうしてその雛は必要のあるたびに無言のまま必ず動いた。
余は声も出さなかった。呼びもしなかった。それでも余の寝ている位置に、少しの変化さえあれば彼等はきっと動いた。手を毛布《けっと》のうちで、もじつかせても、心持肩を右から左へ揺《ゆす》っても、頭を――頭は眼が覚《さ》めるたびに必ず麻痺《しび》れていた。あるいは麻痺れるので眼が覚めるのかも知れなかった。――その頭を枕の上で一寸《いっすん》摺《ず》らしても、あるいは足――足はよく寝覚《ねざ》めの種となった。平生《ふだん》の癖で時々、片方《かたかた》を片方の上へ重ねて、そのままとろとろとなると、下になった方の骨が沢庵石《たくわんいし》でも載せられたように、みしみしと痛んで眼が覚めた。そうして余は必ず強い痛さと重たさとを忍んで足の位置を変えなければならなかった。――これらのあらゆる場合に、わが変化に応じて、白い着物の動かない事はけっしてなかった。時にはわが動作を予期して、向うから動くと思われる場合もあった。時には手も足も頭も動かさないのに、眠りが尽きてふと眼を開けさえすれば、白い着物はすぐ顔の傍《そば》へ来た。余には白い着物を着ている女の心持が少しも分らなかった。けれども白い着物を着ている女は余の心を善《よ》く悟った。そうして影の形に随《したが》うごとくに変化した。響の物に応ずるごとくに働らいた。黒い布《ぬの》の目から洩《も》れる薄暗い光の下《もと》に、真白な着物を着た女が、わが肉体の先《せん》を越して、ひそひそと、しかも規則正しく、わが心のままに動くのは恐ろしいものであった。
余はこの気味の悪い心持を抱いて、眼を開けると共に、ぼんやり眸《ひとみ》に映る室《へや》の天井を眺めた。そうして黒い布で包んだ電気灯の珠《たま》と、その黒い布の織目から洩れてくる光に照らされた白い着物を着た女を見た。見たか見ないうちに白い着物が動いて余に近づいて来た。
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秋風鳴万木[#「秋風鳴万木」に白丸傍点]。 山雨撼高楼[#「山雨撼高楼」に白丸傍点]。
病骨稜如剣[#「病骨稜如剣」に白丸傍点]。 一灯青欲愁[#「一灯青欲愁」に白丸傍点]。
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二十三
余は好意の干乾《ひから》びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感じた。
人が自分に対して相応の義務を尽くしてくれるのは無論ありがたい。けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、人間を相手に取った言葉でも何でもない。したがって義務の結果に浴する自分は、ありがたいと思いながらも、義務を果した先方に向って、感謝の念を起《おこ》し悪《にく》い。それが好意となると、相手の所作《しょさ》が一挙一動ことごとく自分を目的にして働いてくるので、活物《いきもの》の自分にその一挙一動がことごとく応《こた》える。そこに互を繋《つな》ぐ暖い糸があって、器械的な世を頼母《たのも》しく思わせる。電車に乗って一区を瞬《またた》く間に走るよりも、人の背に負われて浅瀬を越した方が情《なさけ》が深い。
義務さえ素直《すなお》には尽くして呉れる人のない世の中に、また自分の義務さえ碌《ろく》に尽くしもしない世の中に、こんな贅沢《ぜいたく》を並べるのは過分である。そうとは知りながら余は好意の干乾《ひから》びた社会に存在する自分を切《せつ》にぎごちなく感じた。――或る人の書いたものの中に、余りせち辛《がら》い世間だから、自用車《じようしゃ》を節倹する格で、当分良心を質に入れたとあったが、質に入れるのは固《もと》より一時の融通を計る便宜《べんぎ》に過ぎない。今の大多数は質に置くべき好意さえ天《てん》で持っているものが少なそうに見えた。いかに工面《くめん》がついても受出そうとは思えなかった。とは悟りながらやはり好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。
今の青年は、筆を執《と》っても、口を開《あ》いても、身を動かしても、ことごとく「自我の主張」を根本義にしている。それほど世の中は切りつめられたのである。それほど世の中は今の青年を虐待しているのである。「自我の主張」を正面から承《うけたまわ》れば、小憎《こにくら》しい申し分が多い。けれども彼等をしてこの「自我の主張」をあえてして憚《はば》かるところなきまでに押しつめたものは今の世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主張」の裏には、首を縊《くく》ったり身を投げたりすると同程度に悲惨な煩悶《はんもん》が含まれている。ニーチェは弱い男であった。多病な人であった。また孤独な書生であった。そうしてザラツストラはかくのごとく叫んだのである。
こうは解釈するようなものの、依然として余は常に好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。自分が人に向ってぎごちなくふるまいつつあるにもかかわらず、自《みずか》らぎごちなく感じた。そうして病《やまい》に罹《かか》った。そうして病の重い間、このぎごちなさをどこへか忘れた。
看護婦は五十グラムの粥《かゆ》をコップの中に入れて、それを鯛味噌《たいみそ》と混ぜ合わして、一匙《ひとさじ》ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀《すずめ》の子か烏《からす》の子のような心持がした。医師は病の遠ざかるに連れて、ほとんど五日目ぐらいごとに、余のために食事の献立表《こんだてひょう》を作った。ある時は三通りも四通りも作って、それを比較して一番病人に好さそうなものを撰《えら》んで、あとはそれぎり反故《ほご》にした。
医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事はもちろんである。彼等をもって、単に金銭を得るが故《ゆえ》に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実《み》も葢《ふた》もない話である。けれども彼等の義務の中《うち》に、半分の好意を溶《と》き込《こ》んで、それを病人の眼から透《す》かして見たら、彼等の所作《しょさ》がどれほど尊《たっ》とくなるか分らない。病人は彼等のもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独《ひと》りで嬉《うれ》しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。
子供と違って大人《たいじん》は、なまじい一つの物を十筋《とすじ》二十筋の文《あや》からできたように見窮《みきわ》める力があるから、生活の基礎となるべき純潔な感情を恣《ほしい》ままに吸収する場合が極《きわ》めて少ない。本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に尊《たっと》かったと、生涯《しょうがい》に何度思えるか、勘定《かんじょう》すれば幾何《いくばく》もない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中《まんなか》に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片《いっぺん》の記憶と変化してしまいそうなのを切《せつ》に恐れている。――好意の干乾《ひから》びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。
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天下自多事[#「天下自多事」に白丸傍点]。 被吹天下風[#「被吹天下風」に白丸傍点]。 高秋悲鬢白[
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