付け加えた時ですら、余はこれほど無理な工面《くめん》をして生き延びたのだとは思えなかった。
 杉本さんが東京へ帰るや否や、――杉本さんはその朝すぐ東京へ帰った。もっとおりたいが忙がしいから失礼します、その代り手当は充分するつもりでありますと云って、新らしい襟《えり》と襟飾《えりかざり》を着け易《か》えて、余の枕辺に坐ったとき、余は昨夕《ゆうべ》夜半《よなか》に、裄丈《ゆきたけ》の足りない宿の浴衣《ゆかた》を着たまま、そっと障子《しょうじ》を開けながら、どうかと一言《ひとこと》森成さんに余の様子を聞いていた彼人《かのひと》の様子を思い出した。余の記憶にはただそれだけしかとまらなかった杉本さんが、出がけに妻を顧みて、もう一遍吐血があれば、どうしても回復の見込はないものと御諦《おあき》らめなさらなければいけませんと注意を与えたそうである。実は昨夕にもこの恐るべき再度の吐血が来そうなので、わざわざモルヒネまで注射してそれを防ぎ止めたのだとは、後《のち》になってその顛末《てんまつ》を審《つまび》らかにした余に取って、全く思いがけない報知であった。あれほど胸の中《うち》は落ちついていたものをと云いたいくらいに、余は平常《へいぜい》の心持で苦痛なくその夜を明したのである。――話がつい外《そ》れてしまった。
 杉本さんは東京へ帰るや否や、自分で電話を看護婦会へかけて、看護婦を二人すぐ余の出先へ送るように頼んでくれた。その時、早く行かんと間に合わないかも知れないからと電話口で急《せ》いたので、看護婦は汽車で走る途々《みちみち》も、もういけない頃ではなかろうかと、絶えず余の生命に疑いを挟《さしは》さんでいた。せっかく行っても、行き着いて見たら、遅過ぎて間に合わなかったと云うような事があってはつまらないと語り合って来た。――これも回復期に向いた頃、病牀《びょうしょう》の徒然《つれづれ》に看護婦と世間話をしたついでに、彼等の口からじかに聞いたたよりである。
 かくすべての人に十の九まで見放された真中《まなか》に、何事も知らぬ余は、曠野《こうや》に捨てられた赤子《あかご》のごとく、ぽかんとしていた。苦痛なき生は余に向って何らの煩悶《はんもん》をも与えなかった。余は寝ながらただ苦痛なく生きておるという一事実を認めるだけであった。そうしてこの事実が、はからざる病《やまい》のために、周囲の人の丁重《ていちょう》な保護を受けて、健康な時に比べると、一歩浮世の風の当《あた》り悪《にく》い安全な地に移って来たように感じた。実際余と余の妻とは、生存競争の辛《から》い空気が、直《じか》に通わない山の底に住んでいたのである。
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露けさの里にて静《しずか》なる病《やまい》
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        十七

 臆病者の特権として、余はかねてより妖怪《ようかい》に逢《あ》う資格があると思っていた。余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている。文明の肉が社会の鋭どき鞭《むち》の下《もと》に萎縮《いしゅく》するとき、余は常に幽霊を信じた。けれども虎烈剌《コレラ》を畏《おそ》れて虎烈剌に罹《かか》らぬ人のごとく、神に祈って神に棄《す》てられた子のごとく、余は今日《きょう》までこれと云う不思議な現象に遭遇する機会もなく過ぎた。それを残念と思うほどの好奇心もたまには起るが、平生はまず出逢《であ》わないのを当然と心得てすまして来た。
 自白すれば、八九年前アンドリュ・ラングの書いた「夢と幽霊」という書物を床の中に読んだ時は、鼻の先の灯火《ともしび》を一時に寒く眺めた。一年ほど前にも「霊妙なる心力」と云う標題に引かされてフランマリオンという人の書籍を、わざわざ外国から取り寄せた事があった。先頃はまたオリヴァー・ロッジの「死後の生」を読んだ。
 死後の生! 名からしてがすでに妙である。我々の個性が我々の死んだ後《のち》までも残る、活動する、機会があれば、地上の人と言葉を換《かわ》す。スピリチズムの研究をもって有名であったマイエルはたしかにこう信じていたらしい。そのマイエルに自己の著述を捧げたロッジも同じ考えのように思われる。ついこの間出たポドモアの遺著もおそらくは同系統のものだろう。
 独乙《ドイツ》のフェヒナーは十九世紀の中頃すでに地球その物に意識の存すべき所以《ゆえん》を説いた。石と土と鉱《あらがね》に霊があると云うならば、有るとするを妨《さまた》げる自分ではない。しかしせめてこの仮定から出立して、地球の意識とは如何《いか》なる性質のものであろうぐらいの想像はあってしかるべきだと思う。
 吾々の意識には敷居のような境界線があって、その線の下は暗く、その線の上は明らかであるとは現代の心理学者が一般に認識する議論のように見えるし、またわが経験に照らしても至極《しごく》と思われるが、肉体と共に活動する心的現象に斯様《かよう》の作用があったにしたところで、わが暗中の意識すなわちこれ死後の意識とは受取れない。
 大いなるものは小さいものを含んで、その小さいものに気がついているが、含まれたる小さいものは自分の存在を知るばかりで、己《おのれ》らの寄り集って拵《こし》らえている全部に対しては風馬牛《ふうばぎゅう》のごとく無頓着《むとんじゃく》であるとは、ゼームスが意識の内容を解き放したり、また結び合せたりして得た結論である。それと同じく、個人全体の意識もまたより大いなる意識の中《うち》に含まれながら、しかもその存在を自覚せずに、孤立するごとくに考えているのだろうとは、彼がこの類推《るいすい》より下《くだ》し来《きた》るスピリチズムに都合よき仮定である。
 仮定は人々の随意であり、また時にとって研究上必要の活力でもある。しかしただ仮定だけでは、いかに臆病の結果幽霊を見ようとする、また迷信の極《きょく》不可思議を夢みんとする余も、信力をもって彼らの説を奉ずる事ができない。
 物理学者は分子の容積を計算して蚕《かいこ》の卵にも及ばぬ(長さ高さともに一ミリメターの)立方体に一千万を三乗した数が這入《はい》ると断言した。一千万を三乗した数とは一の下に零《れい》を二十一付けた莫大《ばくだい》なものである。想像を恣《ほしいま》まにする権利を有する吾々《われわれ》もこの一の下に二十一の零を付けた数を思い浮べるのは容易でない。
 形而下《けいじか》の物質界にあってすら、――相当の学者が綿密な手続を経て発表した数字上の結果すら、吾々はただ数理的の頭脳にのみもっともと首肯《うなず》くだけである。数量のあらましさえ応用の利かぬ心の現象に関しては云うまでもない。よし物理学者の分子に対するごとき明暸《めいりょう》な知識が、吾人《ごじん》の内面生活を照らす機会が来たにしたところで、余の心はついに余の心である。自分に経験のできない限り、どんな綿密な学説でも吾を支配する能力は持ち得まい。
 余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。はたして時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味しなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合《めいごう》できよう。臆病にしてかつ迷信強き余は、ただこの不可思議を他人《ひと》に待つばかりである。
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迎火《むかいび》を焚《た》いて誰《たれ》待つ絽《ろ》の羽織《はおり》
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        十八

 ただ驚ろかれたのは身体《からだ》の変化である。騒動のあった明《あく》る朝、何かの必要に促《うな》がされて、肋《あばら》の左右に横たえた手を、顔の所まで持って来《き》ようとすると、急に持主でも変ったように、自分の腕ながらまるで動かなかった。人を煩《わず》らわす手数《てかず》を厭《いと》って、無理に肘《ひじ》を杖《つえ》として、手頸《てくび》から起しかけたはかけたが、わずか何寸かの距離を通して、宙に短かい弧線を描く努力と時間とは容易のものでなかった。ようやく浮き上った筋《きん》の力を利用して、高い方へ引くだけの精気に乏しいので、途中から断念して、再び元の位置にわが腕を落そうとすると、それがまた安くは落ちなかった。無論そのままにして心を放せば、自然の重みでもとに倒れるだけの事ではあるが、その倒れる時の激動が、いかに全身に響き渡るかと考えると、非常に恐ろしくなって、ついに思い切る勇気が出なかった。余はおろす事も上げる事も、また半途に支える事もできない腕を意識しつつそのやりどころに窮した。ようやく傍《はた》のものの気がついて、自分の手をわが手に添えて、無理のないように顔の所まで持って来てくれて、帰りにもまた二つ腕をいっしょにしてやっと床《とこ》の上まで戻した時には、どうしてこう自己が空虚になったものか、我ながらほとんど想像がつかなかった。後から考えて見て、あれは全く護謨風船《ゴムふうせん》に穴が開《あ》いて、その穴から空気が一度に走り出したため、風船の皮がたちまちしゅっという音と共に収縮したと一般の吐血だから、それでああ身体《からだ》に応《こた》えたのだろうと判断した。それにしても風船はただ縮《ちぢ》まるだけである。不幸にして余の皮は血液のほかに大きな長い骨をたくさんに包んでいた。その骨が――
 余は生れてより以来この時ほど吾骨の硬さを自覚した事がない。その朝眼が覚《さ》めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった。そうしてその痛みが、宵《よい》に、酒を被《こうぶ》った勢《いきおい》で、多数を相手に劇《はげ》しい喧嘩《けんか》を挑《いど》んだ末、さんざんに打ち据《す》えられて、手も足も利《き》かなくなった時のごとくに吾を鈍《にぶ》く叩《たた》きこなしていた。砧《きぬた》に擣《う》たれた布は、こうもあろうかとまで考えた。それほど正体なくきめつけられ了《おわ》った状態を適当に形容するには、ぶちのめす[#「ぶちのめす」に傍点]と云う下等社会で用いる言葉が、ただ一つあるばかりである。少しでも身体を動かそうとすると、関節《ふしぶし》がみしみしと鳴った。
 昨日《きのう》まで狭い布団《ふとん》に劃《かく》された余の天地は、急にまた狭くなった。その布団のうちの一部分よりほかに出る能力を失った今の余には、昨日《きのう》まで狭く感ぜられた布団がさらに大きく見えた。余の世界と接触する点は、ここに至ってただ肩と背中と細長く伸べた足の裏側に過ぎなくなった。――頭は無論枕に着いていた。
 これほどに切りつめられた世界に住む事すら、昨夕《ゆうべ》は許されそうに見えなかったのにと、傍《はた》のものは心の中《うち》で余のために観じてくれたろう。何事も弁《わきま》えぬ余にさえそれが憐《あわ》れであった。ただ身の布団に触れる所のみがわが世界であるだけに、そうしてその触れる所が少しも変らないために、我と世界との関係は、非常に単純であった。全くスタチック(静《せい》)であった。したがって安全であった。綿《わた》を敷いた棺《かん》の中に長く寝て、われ棺を出でず、人棺を襲《おそ》わざる亡者《もうじゃ》の気分は――もし亡者に気分が有り得るならば、――この時の余のそれと余りかけ隔《へだ》ってはいなかったろう。
 しばらくすると、頭が麻痺《しび》れ始めた。腰の骨が骨だけになって板の上に載《の》せられているような気がした。足が重くなった。かくして社会的の危険から安全に保証された余|一人《いちにん》の狭い天地にもまた相応の苦しみができた。そうしてその苦痛を逃《のが》れるべく余は一寸《いっすん》のほかにさえ出る能力を持たなかった。枕元にどんな人がどうして坐《すわ》っているか、まるで気がつかなかった。余を看護するために、余の視線の届かぬ傍《かたわ》らを占めた人々の姿は、余に取って神のそれと一般であった。
 余はこの安らかながら痛み多き小世界にじっと仰向《あおむけ》に寝たまま、身の及ばざるところに時々眼を走らした。そ
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