たっ》とくなるか分らない。病人は彼等のもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独《ひと》りで嬉《うれ》しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。
 子供と違って大人《たいじん》は、なまじい一つの物を十筋《とすじ》二十筋の文《あや》からできたように見窮《みきわ》める力があるから、生活の基礎となるべき純潔な感情を恣《ほしい》ままに吸収する場合が極《きわ》めて少ない。本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に尊《たっと》かったと、生涯《しょうがい》に何度思えるか、勘定《かんじょう》すれば幾何《いくばく》もない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中《まんなか》に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片《いっぺん》の記憶と変化してしまいそうなのを切《せつ》に恐れている。――好意の干乾《ひから》びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。
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天下自多事[#「天下自多事」に白丸傍点]。 被吹天下風[#「被吹天下風」に白丸傍点]。 高秋悲鬢白[
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