じた。自分が人に向ってぎごちなくふるまいつつあるにもかかわらず、自《みずか》らぎごちなく感じた。そうして病《やまい》に罹《かか》った。そうして病の重い間、このぎごちなさをどこへか忘れた。
 看護婦は五十グラムの粥《かゆ》をコップの中に入れて、それを鯛味噌《たいみそ》と混ぜ合わして、一匙《ひとさじ》ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀《すずめ》の子か烏《からす》の子のような心持がした。医師は病の遠ざかるに連れて、ほとんど五日目ぐらいごとに、余のために食事の献立表《こんだてひょう》を作った。ある時は三通りも四通りも作って、それを比較して一番病人に好さそうなものを撰《えら》んで、あとはそれぎり反故《ほご》にした。
 医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事はもちろんである。彼等をもって、単に金銭を得るが故《ゆえ》に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実《み》も葢《ふた》もない話である。けれども彼等の義務の中《うち》に、半分の好意を溶《と》き込《こ》んで、それを病人の眼から透《す》かして見たら、彼等の所作《しょさ》がどれほど尊《
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