もなく、すぐ眼が開《あ》いて、まだ空は白まないだろうかと、幾度《いくたび》も暁《あかつき》を待《ま》ち佗《わ》びた。床《とこ》に縛《しば》りつけられた人の、しんとした夜半《よなか》に、ただ独《ひと》り生きている長さは存外な長さである。――鯉が勢《いきおい》よく水を切った。自分の描いた波の上を叩《たた》く尾の音で、余は眼を覚ました。
室《へや》の中は夕暮よりもなお暗い光で照らされていた。天井から下がっている電気灯の珠《たま》は黒布《くろぬの》で隙間《すきま》なく掩《おい》がしてあった。弱い光りはこの黒布の目を洩《も》れて、微《かす》かに八畳の室を射た。そうしてこの薄暗い灯影《ひかげ》に、真白な着物を着た人間が二人|坐《すわ》っていた。二人とも口を利《き》かなかった。二人とも動かなかった。二人とも膝《ひざ》の上へ手を置いて、互いの肩を並べたままじっとしていた。
黒い布で包んだ球を見たとき、余は紗《しゃ》で金箔《きんぱく》を巻いた弔旗《ちょうき》の頭を思い出した。この喪章《もしょう》と関係のある球の中から出る光線によって、薄く照らされた白衣《はくい》の看護婦は、静かなる点において、行儀の
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