えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来《きた》ってやまなかった。
 今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終《しじゅう》わが傍《かたわら》にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯《しょうがい》感謝する事を忘れぬ人であった。

        二十二

 余はうとうとしながらいつの間《ま》にか夢に入《い》った。すると鯉《こい》の跳《は》ねる音でたちまち眼が覚《さ》めた。
 余が寝ている二階座敷の下はすぐ中庭の池で、中には鯉がたくさんに飼ってあった。その鯉が五分に一度ぐらいは必ず高い音を立ててぱしゃりと水を打つ。昼のうちでも折々は耳に入った。夜はことに甚《はなはだ》しい。隣りの部屋も、下の風呂場も、向うの三階も、裏の山もことごとく静まり返った真中《まなか》に、余は絶えずこの音で眼を覚ました。
 犬の眠りと云う英語を知ったのはいつの昔か忘れてしまったが、犬の眠りと云う意味を実地に経験したのはこの頃が始めてであった。余は犬の眠りのために夜《よ》ごと悩まされた。ようやく寝ついてありがたいと思う間
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