迎えながら、四分、三分、二分と意識しつつ進む時、さらに突き当ると思った死が、たちまちとんぼ返りを打って、新たに生と名づけられる時、――余のごとき神経質ではこの三|象面《フェーゼス》の一つにすら堪《た》え得まいと思う。現にドストイェフスキーと運命を同じくした同囚の一人《いちにん》は、これがためにその場で気が狂ってしまった。
 それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀《びょうしょう》の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇《よみが》えった最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新らしい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、襯衣一枚のまま顫《ふる》えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独《ひと》り彼が死刑を免《まぬ》かれたと自覚し得た咄嗟《とっさ》の表情が、どうしても判然《はっきり》映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。
 余は自然の手に罹《かか》って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻《さい》から聞いた顛末《てんまつ》を埋《
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