む事ができた。無論病勢の募《つの》るに伴《つ》れて読書は全く廃《よ》さなければならなくなったので、教授の死ぬ日まで教授の書を再び手に取る機会はなかった。
病牀《びょうしょう》にありながら、三たび教授の多元的宇宙を取り上げたのは、教授が死んでから幾日目《いつかめ》になるだろう。今から顧みると当時の余は恐ろしく衰弱していた。仰向《あおむけ》に寝て、両方の肘《ひじ》を蒲団《ふとん》に支えて、あのくらいの本を持ち応《こた》えているのにずいぶんと骨が折れた。五分と経《た》たないうちに、貧血の結果手が麻痺《しび》れるので、持ち直して見たり、甲を撫《な》でて見たりした。けれども頭は比較的疲れていなかったと見えて、書いてある事は苦《く》もなく会得《えとく》ができた。頭だけはもう使えるなと云う自信の出たのは大吐血以後この時が始《はじめ》てであった。嬉《うれ》しいので、妻《さい》を呼んで、身体《からだ》の割に頭は丈夫なものだねと云って訳を話すと、妻がいったいあなたの頭は丈夫過ぎます。あの危篤《あぶな》かった二三日の間などは取り扱い悪《にく》くて大変弱らせられましたと答えた。
多元的宇宙は約半分ほど残っ
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