か知らんと思いながら読んで見ると、意外にもそれが永眠《えいみん》の報道であった。その雑誌は九月初めのもので、項中には去る日曜日に六十九歳をもって逝《ゆ》かるとあるから、指を折って勘定《かんじょう》して見ると、ちょうど院長の容体《ようだい》がしだいに悪い方へ傾いて、傍《はた》のものが昼夜《ちゅうや》眉《まゆ》を顰《ひそ》めている頃である。また余が多量の血を一度に失って、死生《しせい》の境《さかい》に彷徨《ほうこう》していた頃である。思うに教授の呼息《いき》を引き取ったのは、おそらく余の命が、瘠《や》せこけた手頸《てくび》に、有るとも無いとも片付かない脈を打たして、看護の人をはらはらさせていた日であろう。
 教授の最後の著書「多元的宇宙」を読み出したのは今年の夏の事である。修善寺《しゅぜんじ》へ立つとき、向《むこう》へ持って行って読み残した分を片付けようと思って、それを五六巻の書物とともに鞄《かばん》の中に入れた。ところが着いた明日《あくるひ》から心持が悪くて、出歩く事もならない始末になった。けれども宿の二階に寝転《ねころ》びながら、一日《いちにち》二日《ふつか》は少しずつでも前の続きを読
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