子もある意味において敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れてもやめえぬ戦いを持続しながら、※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]然《けいぜん》として独《ひと》りその間に老ゆるものは、見惨《みじめ》と評するよりほかに評しようがない。
古臭い愚痴《ぐち》を繰返すなという声がしきりに聞えた。今でも聞える。それを聞き捨てにして、古臭い愚痴を繰返すのは、しみじみそう感じたからばかりではない、しみじみそう感じた心持を、急に病気が来て顛覆《くつがえ》したからである。
血を吐いた余は土俵の上に仆《たお》れた相撲と同じ事であった。自活のために戦う勇気は無論、戦わねば死ぬという意識さえ持たなかった。余はただ仰向《あおむ》けに寝て、わずかな呼吸《いき》をあえてしながら、怖《こわ》い世間を遠くに見た。病気が床の周囲《ぐるり》を屏風《びょうぶ》のように取り巻いて、寒い心を暖かにした。
今までは手を打たなければ、わが下女さえ顔を出さなかった。人に頼まなければ用は弁じなかった。いくらしようと焦慮《あせ》っても、調《ととの》わない事が多かった。それが病気になると、がらりと変った
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