から見た人間は、まさにこの相撲のごとく苦しいものである。吾《われ》らは平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、吾らと吾らの妻子《さいし》とに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々《にちにち》自己と世間との間に、互殺の平和を見出《みいだ》そうと力《つと》めつつある。戸外《そと》に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中《うち》に殺伐《さつばつ》の気に充《み》ちた我を見出すならば、さらにこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院《えこういん》のそれのように、一分足《いっぷんた》らずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実に想《おも》い至るならば、我等は神経衰弱に陥《おちい》るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。
 かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友《ほうゆう》もある意味において敵であるし、妻
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