うして天井《てんじょう》から釣った長い氷嚢《ひょうのう》の糸をしばしば見つめた。その糸は冷たい袋と共に、胃の上でぴくりぴくりと鋭どい脈を打っていた。
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朝寒《あささむ》や生きたる骨を動かさず
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十九
余はこの心持をどう形容すべきかに迷う。
力を商《あきな》いにする相撲《すもう》が、四つに組んで、かっきり合った時、土俵の真中に立つ彼等の姿は、存外静かに落ちついている。けれどもその腹は一分と経《た》たないうちに、恐るべき波を上下《じょうげ》に描かなければやまない。そうして熱そうな汗の球が幾条《いくすじ》となく背中を流れ出す。
最も安全に見える彼等の姿勢は、この波とこの汗の辛うじて齎《もた》らす努力の結果である。静かなのは相剋《あいこく》する血と骨の、わずかに平均を得た象徴である。これを互殺《ごさつ》の和《わ》という。二三十秒の現状を維持するに、彼等がどれほどの気魄《きはく》を消耗《しょうこう》せねばならぬかを思うとき、看《み》る人は始めて残酷の感を起すだろう。
自活の計《はかりごと》に追われる動物として、生を営む一点
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