考えると、非常に恐ろしくなって、ついに思い切る勇気が出なかった。余はおろす事も上げる事も、また半途に支える事もできない腕を意識しつつそのやりどころに窮した。ようやく傍《はた》のものの気がついて、自分の手をわが手に添えて、無理のないように顔の所まで持って来てくれて、帰りにもまた二つ腕をいっしょにしてやっと床《とこ》の上まで戻した時には、どうしてこう自己が空虚になったものか、我ながらほとんど想像がつかなかった。後から考えて見て、あれは全く護謨風船《ゴムふうせん》に穴が開《あ》いて、その穴から空気が一度に走り出したため、風船の皮がたちまちしゅっという音と共に収縮したと一般の吐血だから、それでああ身体《からだ》に応《こた》えたのだろうと判断した。それにしても風船はただ縮《ちぢ》まるだけである。不幸にして余の皮は血液のほかに大きな長い骨をたくさんに包んでいた。その骨が――
余は生れてより以来この時ほど吾骨の硬さを自覚した事がない。その朝眼が覚《さ》めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった。そうしてその痛みが、宵《よい》に、酒を被《こうぶ》った勢《いきおい》で、多数を相手
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