た。一年ほど前にも「霊妙なる心力」と云う標題に引かされてフランマリオンという人の書籍を、わざわざ外国から取り寄せた事があった。先頃はまたオリヴァー・ロッジの「死後の生」を読んだ。
 死後の生! 名からしてがすでに妙である。我々の個性が我々の死んだ後《のち》までも残る、活動する、機会があれば、地上の人と言葉を換《かわ》す。スピリチズムの研究をもって有名であったマイエルはたしかにこう信じていたらしい。そのマイエルに自己の著述を捧げたロッジも同じ考えのように思われる。ついこの間出たポドモアの遺著もおそらくは同系統のものだろう。
 独乙《ドイツ》のフェヒナーは十九世紀の中頃すでに地球その物に意識の存すべき所以《ゆえん》を説いた。石と土と鉱《あらがね》に霊があると云うならば、有るとするを妨《さまた》げる自分ではない。しかしせめてこの仮定から出立して、地球の意識とは如何《いか》なる性質のものであろうぐらいの想像はあってしかるべきだと思う。
 吾々の意識には敷居のような境界線があって、その線の下は暗く、その線の上は明らかであるとは現代の心理学者が一般に認識する議論のように見えるし、またわが経験に照ら
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