》わり終《おお》せた死は、いつの間にか余の血管に潜《もぐ》り込んで、乏《とも》しい血を追い廻しつつ流れていたのだそうである。「容体《ようだい》を聞くと、危険なれどごく安静にしていれば持ち直すかも知れぬという」とは、妻《さい》のこの日の朝の部に書き込んだ日記の一句である。余が夜明まで生きようとは、誰も期待していなかったのだとは後から聞いて始めて知った。
 余は今でも白い金盥《かなだらい》の底に吐き出された血の色と恰好《かっこう》とを、ありありとわが眼の前に思い浮べる事ができる。ましてその当分は寒天《かんてん》のように固まりかけた腥《なまぐさ》いものが常に眼先に散らついていた。そうして吾《わ》が想像に映る血の分量と、それに起因した衰弱とを比較しては、どうしてあれだけの出血が、こう劇《はげ》しく身体《からだ》に応《こた》えるのだろうといつでも不審に堪《た》えなかった。人間は脈の中の血を半分失うと死に、三分の一失うと昏睡《こんすい》するものだと聞いて、それに吾《われ》とも知らず妻《さい》の肩に吐きかけた生血《なまち》の容積《かさ》を想像の天秤《てんびん》に盛って、命の向う側に重《おも》りとして
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