はこのかけ離れた二象面を、どうして同性質のものとして、その関係を迹付《あとづ》ける事ができよう。
人が余に一個の柿を与えて、今日は半分喰え、明日《あす》は残りの半分の半分を喰え、その翌日《あくるひ》はまたその半分の半分を喰え、かくして毎日現に余れるものの半分ずつを喰えと云うならば、余は喰い出してから幾日目《いくかめ》かに、ついにこの命令に背《そむ》いて、残る全部をことごとく喰い尽すか、または半分に割る能力の極度に達したため、手を拱《こまぬ》いて空《むな》しく余《のこ》れる柿の一片《いっぺん》を見つめなければならない時機が来るだろう。もし想像の論理を許すならば、この条件の下《もと》に与えられたる一個の柿は、生涯《しょうがい》喰っても喰い切れる訳がない。希臘《ギリシャ》の昔ゼノが足の疾《と》きアキリスと歩みの鈍《のろ》い亀との間に成立する競争に辞《ことば》を託して、いかなるアキリスもけっして亀に追いつく事はできないと説いたのは取も直さずこの消息である。わが生活の内容を構成《かたちづく》る個々の意識もまたかくのごとくに、日ごとか月ごとに、その半《なかば》ずつを失って、知らぬ間にいつか死に近
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