入《い》り込《こ》んだ三十分の死は、時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余に取って存在しなかったと一般である。妻の説明を聞いた時余は死とはそれほどはかないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃《きら》めいた生死二面の対照の、いかにも急劇でかつ没交渉なのに深く感じた。どう考えてもこの懸隔《かけへだ》った二つの現象に、同じ自分が支配されたとは納得できなかった。よし同じ自分が咄嗟《とっさ》の際に二つの世界を横断したにせよ、その二つの世界がいかなる関係を有するがために、余をしてたちまち甲から乙に飛び移るの自由を得せしめたかと考えると、茫然《ぼうぜん》として自失せざるを得なかった。
 生死とは緩急《かんきゅう》、大小、寒暑と同じく、対照の連想からして、日常|一束《ひとたば》に使用される言葉である。よし輓近《ばんきん》の心理学者の唱うるごとく、この二つのものもまた普通の対照と同じく同類連想の部に属すべきものと判ずるにしたところで、かく掌《てのひら》を翻《ひるが》えすと一般に、唐突《とうとつ》なるかけ離れた二|象面《フェーゼス》が前後して我を擒《とりこ》にするならば、我
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