医師に絶えず握られていた。その二人は眼を閉じている余を中に挟《はさ》んで下《しも》のような話をした(その単語はことごとく独逸語《ドイツご》であった)。
「弱い」
「ええ」
「駄目だろう」
「ええ」
「子供に会わしたらどうだろう」
「そう」
 今まで落ちついていた余はこの時急に心細くなった。どう考えても余は死にたくなかったからである。またけっして死ぬ必要のないほど、楽な気持でいたからである。医師が余を昏睡《こんすい》の状態にあるものと思い誤って、忌憚《きたん》なき話を続けているうちに、未練《みれん》な余は、瞑目《めいもく》不動の姿勢にありながら、半《なかば》無気味な夢に襲われていた。そのうち自分の生死に関する斯様《かよう》に大胆な批評を、第三者として床の上にじっと聞かせられるのが苦痛になって来た。しまいには多少腹が立った。徳義上もう少しは遠慮してもよさそうなものだと思った。ついに先がそう云う料簡《りょうけん》ならこっちにも考えがあるという気になった。――人間が今死のうとしつつある間際《まぎわ》にも、まだこれほどに機略を弄《ろう》し得るものかと、回復期に向った時、余はしばしば当夜の反抗心を
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