寝返ろうと試みた。余の記憶に上《のぼ》らない人事不省の状態は、寝ながら向《むき》を換えにかかったこの努力に伴う脳貧血の結果だと云う。
 余はその時さっと迸《ほとば》しる血潮を、驚ろいて余に寄り添おうとした妻の浴衣《ゆかた》に、べっとり吐《は》きかけたそうである。雪鳥君は声を顫《ふる》わしながら、奥さんしっかりしなくてはいけませんと云ったそうである。社へ電報をかけるのに、手が戦《わなな》いて字が書けなかったそうである。医師は追っかけ追っかけ注射を試みたそうである。後から森成さんにその数を聞いたら、十六|筒《とう》までは覚えていますと答えた。
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淋漓絳血腹中文[#「淋漓絳血腹中文」に白丸傍点]。 嘔照黄昏漾綺紋[#「嘔照黄昏漾綺紋」に白丸傍点]。
入夜空疑身是骨[#「入夜空疑身是骨」に白丸傍点]。 臥牀如石夢寒雲[#「臥牀如石夢寒雲」に白丸傍点]。
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        十四

 眼を開けて見ると、右向になったまま、瀬戸引《せとびき》の金盥《かなだらい》の中に、べっとり血を吐いていた。金盥が枕に近く押付けてあったので、血は鼻の先に鮮かに見えた。そ
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