大仁《おおひと》まで迎《むかえ》に出たのは何時頃か覚えていないが、山の中を照らす日がまだ山の下に隠れない午過《ひるすぎ》であったと思う。その山の中を照らす日を、床を離れる事のできない、また室《へや》を出る事の叶《かな》わない余は、朝から晩までほとんど仰ぎ見た試しがないのだから、こう云うのも実は廂《ひさし》の先に余る空の端《はし》だけを目当《めあて》に想像した刻限《こくげん》である。――余は修善寺《しゅぜんじ》に二月《ふたつき》と五日《いつか》ほど滞在しながら、どちらが東で、どちらが西か、どれが伊東へ越す山で、どれが下田へ出る街道か、まるで知らずに帰ったのである。
 杉本さんは予定のごとく宿へ着いた。余はその少し前に、妻《さい》の手から吸飲《すいのみ》を受け取って、細長い硝子《ガラス》の口から生温《なまぬる》い牛乳を一合ほど飲んだ。血が出てから、安静状態と流動食事とは固く守らなければならない掟《おきて》のようになっていたからである。その上できるだけ病人に営養を与えて、体力の回復の方から、潰瘍《かいよう》の出血を抑えつけるという療治法を受けつつあった際だから、否応《いやおう》なしに飲んだ。
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