《は》りつけた壁の色が、暗く映る灯《ひ》の陰に、ふと余の視線を惹《ひ》いた。余は湯壺《ゆつぼ》の傍《わき》に立ちながら、身体《からだ》を濡《し》めす前に、まずこの異様の広告めいたものを読む気になった。真中に素人《しろうと》落語大会と書いて、その下に催主《さいしゅ》裸連《はだかれん》と記してある。場所は「山荘にて」と断って、催《もよお》しのあるべき日取をその傍に書き添えた。余はすぐ裸連の何人《なんびと》なるかを覚《さと》り得た。裸連とは余の隣座敷にいる泊り客の自撰にかかる異名《いみょう》である。昨日《きのう》の午《ひる》襖越《ふすまごし》に聞いていると、太郎冠者《たろうかじゃ》がどうのこうのと長い評議の末、そこんところでやるまいぞ、やるまいぞにしたら好いじゃねえかと云うような相談があった。その趣向《しゅこう》は寝ている余とは固《もと》より無関係だから、知ろうはずもなかったが、とにかくこの議決が山荘での催《もよお》しに一異彩を加えた事はたしかに違ないと思った。余は風呂場の貼紙《はりがみ》に注意してある日付と、裸連《はだかれん》の趣向を凝《こ》らしていた時刻を照らし合せつつ、この落語会なるも
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