末《すえ》の弟を伴《つ》れて塔《とう》の沢《さわ》の福住《ふくずみ》へ参り居り候《そうろう》処、水害のため福住は浪《なみ》に押し流され、浴客《よくかく》六十名のうち十五名|行方不明《ゆくえふめい》との事にて、生死の程も分らず、如何《いかん》とも致し方なく、横浜へは汽車不通にて参る事|叶《かな》わず、電話は申込者多数にて一日を待たねば通じ不申《もうさず》……」
後《あと》には、いろいろ込み入った工面《くめん》をして電話をかけた手続が書いてあって、その末に会社の小使とかが徒歩で箱根まで探しに行ったあげく、幽霊のように哀《あわ》れな姿をした彼女《かのおんな》を伴れて戻った模様が述べてあった。余はそこまで読んで来て、つい二三日前宿の下女から、ある所で水が出て家が流されて、その家の宝物がまたある所から掘り出されたという昔話のような物語を聞きながら、その裏には自分と利害の糸を絡《から》み合《あわ》せなければならない恐ろしい事実が潜《ひそ》んでいるとも気がつかずに、尾頭《おかしら》もない夢とのみ打ち興じてすましていた自分の無智に驚いた。またその無智を人間に強《し》いる運命の威力を恐れた。
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