奥さんの所からかけたという説明が書いてあった。茅《ち》ケ崎《さき》にいる子供の安否についても一方《ひとかた》ならぬ心配をしたものらしかった。十間坂下《じっけんざかした》という所は水害の恐れがないけれども、もし万一の事があれば、郵便局から電報で宅まで知らせて貰うはずになっていると、余に安心させるため、わざわざ断ってあった。そのほか市中たいていの平地《ひらち》は水害を受けて、現に江戸川通などは矢来《やらい》の交番の少し下まで浸《つか》ったため、舟に乗って往来《ゆきき》をしているという報知も書き込んであった。しかしその頃は後《おく》れながらも新聞が着いたから、一般の模様は妻の便りがなくてもほぼ分っていた。余の心を動かすべき現象は漠然《ばくぜん》たる大社会の雨や水やと戦う有様にあると云うよりも、むしろ己《おのれ》だけに密接の関係ある個人の消息にあった。そうしてその個人の二人までに、この雨と水が命の間際《まぎわ》まで祟《たた》った顛末《てんまつ》を、余はこの書面の中《うち》に見出したのである。
一つは横浜に嫁《とつ》いだ妻の妹の運命に関した報知であった。手紙にはこう書いてある。
「……梅子事|
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