る人と入れ代ってひとまず東京に帰った。殿下もそれからほどなく御立《おたち》になった。そうして忘るべからざる二十四日の来た頃、東洋城は余に関する何の消息も知らずに、また東海道を汽車で西へ下って行った。その時彼は四五分の停車時間を偸《ぬす》んで、三島から余にわざわざ一通の手紙を書いた。その手紙は途中で紛失してしまって、つい宿へ着かなかったけれども、東洋城が御暇乞《おいとまごい》に上がった時、余の病気の事を御忘れにならなかった殿下から、もし逢《あ》う機会があったなら、どうか大事にするようにというような篤《あつ》い意味の御言葉を承ったため、それをわざわざ病中の余に知らせたのだそうである。咽喉の病も癒《い》え、胃の苦しみも去った今の余は、謹《つつし》んで殿下に御礼を申上げなければならない。また殿下の健康を祈らなければならない。
十
雨がしきりに降った。裏山の絶壁を真逆《まさか》に下《くだ》る筧《かけい》の竹が、青く冷たく光って見えた幾日を、物憂《ものう》く室《へや》の中に呻吟《しんぎん》しつつ暮していた。人が寝静《ねしず》まると始めて夢を襲《おそ》う(欄干《らんかん》から六
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