と答えた。男は次にこれから京都へ行くにはどの汽車へ乗ったら好いか教えてくれと云った。はなはだ簡単な用向《ようむき》であるから平生ならばどうとも挨拶《あいさつ》ができるのだけれども、声量を全く失っていた当時の余には、それが非常の困難であった。固《もと》より云う事はあるのだから、何か云おうとするのだが、その云おうとする言葉が咽喉《のど》を通るとき千条《ちすじ》に擦《す》り切《き》れでもするごとくに、口へ出て来る時分には全く光沢《つや》を失ってほとんど用をなさなかった。余は英語に通ずる駅員の助《たすけ》を藉《か》りて、ようやくのことこの大男を無事に京都へ送り届けた事とは思うが、その時の不愉快はいまだに忘れない。
修善寺《しゅぜんじ》に着いてからも咽喉《のど》はいっこう好くならなかった。医者から薬を貰ったり、東洋城の拵《こしら》えてくれた手製の含漱《がんそう》を用いたりなどして、辛《から》く日常の用を弁ずるだけの言葉を使ってすましていた。その頃修善寺には北白川《きたしらかわ》の宮《みや》がおいでになっていた。東洋城は始終《しじゅう》そちらの方の務《つとめ》に追われて、つい一丁ほどしか隔ってい
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