た色を変えた。始めて熊《くま》の胆《い》を水に溶き込んだように黒ずんだ濃い汁を、金盥《かなだらい》になみなみと反《もど》した時、医者は眉《まゆ》を寄せて、こういうものが出るようでは、今のうち安静にして東京に帰った方が好かろうと注告した。余は金盥の中を指《ゆびさ》していったい何が出るのかと質問した。医者は興《きょう》のない顔つきで、これは血だと答えた。けれども余の眼にはこの黒いものが血とは思えなかった。するとまた吐いた。その時は熊の胆の色が少し紅《くれない》を含んで、咽喉を出る時|腥《なまぐさ》い臭《かおり》がぷんと鼻を衝《つ》いたので、余は胸を抑えながら自分で血だ血だと云った。玄耳君《げんじくん》が驚ろいて森成《もりなり》さんに坂元《さかもと》君を添えてわざわざ修善寺《しゅぜんじ》まで寄こしてくれたのは、この報知が長距離電話で胃腸病院へ伝《つたわ》って、そこからまた直《すぐ》に社へ通じたからである。別館から馳《か》けて来た東洋城《とうようじょう》が枕辺《まくらべ》に立って、今日東京から医者と社員が来るはずになったと知らしてくれた時は全く救われたような気がした。
 この時の余はほとんど人
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