余はすでに病んでいた。縁側《えんがわ》を絶えず通る湯治客に、吾姿を見せるのが苦《く》になって、蒸《む》し暑い時ですら障子《しょうじ》は常に閉《た》て切っていた。三度三度|献立《こんだて》を持って誂《あつらえ》を聞きにくる婆さんに、二品《ふたしな》三品《みしな》口に合いそうなものを注文はしても、膳《ぜん》の上に揃《そろ》った皿を眺めると共に、どこからともなく反感が起って、箸《はし》を執《と》る気にはまるでなれなかった。そのうちに嘔気《はきけ》が来た。
 始めは煎薬《せんやく》に似た黄黒《きぐろ》い水をしたたかに吐いた。吐いた後《あと》は多少気分が癒《なお》るので、いささかの物は咽喉《のど》を越した。しかし越した嬉《うれ》しさがまだ消えないうちに、またそのいささかの胃の滞《とどこ》うる重き苦しみに堪《た》え切れなくなって来た。そうしてまた吐いた。吐くものは大概水である。その色がだんだん変って、しまいには緑青《ろくしょう》のような美くしい液体になった。しかも一粒《いちりゅう》の飯さえあえて胃に送り得ぬ恐怖と用心の下《もと》に、卒然として容赦なく食道を逆《さか》さまに流れ出た。
 青いものがま
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