種類保存のためには個々の滅亡を意とせぬのが進化論の原則である。学者の例証するところによると、一|疋《ぴき》の大口魚《たら》が毎年生む子の数は百万疋とか聞く。牡蠣《かき》になるとそれが二百万の倍数に上《のぼ》るという。そのうちで生長するのはわずか数匹《すひき》に過ぎないのだから、自然は経済的に非常な濫費者《らんぴしゃ》であり、徳義上には恐るべく残酷な父母《ふぼ》である。人間の生死も人間を本位とする吾らから云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易《か》えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当《しとう》の成行で、そこに喜びそこに悲しむ理窟《りくつ》は毫《ごう》も存在していないだろう。
こう考えた時、余ははなはだ心細くなった。またはなはだつまらなくなった。そこでことさらに気分を易えて、この間|大磯《おおいそ》で亡《な》くなった大塚夫人の事を思い出しながら、夫人のために手向《たむけ》の句を作った。
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有る程の菊|抛《な》げ入れよ棺《かん》の中
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八
忘るべからざる八月二十四日の来《きた》る二週間ほど前から
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