水は水となったものには違かなろうが、この山とこの水とこの空気と太陽の御蔭《おかげ》によって生息する吾《われ》ら人間の運命は、吾らが生くべき条件の備わる間の一瞬時――永劫《えいごう》に展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時――を貪《むさ》ぼるに過ぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。
 平生の吾らはただ人を相手にのみ生きている。その生きるための空気については、あるのが当然だと思っていまだかつて心遣《こころづかい》さえした事がない。その心根《こころね》を糺《ただ》すと、吾らが生れる以上、空気は無ければならないはずだぐらいに観じているらしい。けれども、この空気があればこそ人間が生れるのだから、実を云えば、人間のためにできた空気ではなくて、空気のためにできた人間なのである。今にもあれこの空気の成分に多少の変化が起るならば、――地球の歴史はすでにこの変化を予想しつつある――活溌《かっぱつ》なる酸素が地上の固形物と抱合《ほうごう》してしだいに減却するならば、炭素が植物に吸収せられて黒い石炭層に運び去らるるならば、月球《げっきゅう》の表面に瓦斯《
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