全くの偶然であり、また再び来《きた》るまじき奇縁である。
 仏蘭西《フランス》の老画家アルピニーはもう九十一二の高齢である。それでも人並《ひとなみ》の気力はあると見えて、この間のスチュージオには目醒《めざま》しい木炭画が十種ほど載っていた。国朝六家詩鈔《こくちょうりくかししょう》の初にある沈徳潜《しんとくせん》の序には、乾隆丁亥夏五《けんりゅうていがいかご》長洲《ちょうしゅう》沈徳潜《しんとくせん》書《しょ》す時に年九十有五。とわざわざ断ってある。長生《ながいき》の結構な事は云うまでもない。長生をしてこの二人のように頭がたしかに使えるのはなおさらめでたい。不惑《ふわく》の齢《よわい》を越すと間もなく死のうとして、わずかに助かった余は、これからいつまで生きられるか固《もと》より分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その上頭が使えたらなおありがたいと云わなければなるまい。ハイズンは世間から二|返《へん》も死んだと評判された。一度は弔詩《ちょうし》まで作ってもらった。それにもかかわらず彼は依然として生きていた。余も当時はある新聞から死んだと書かれたそうであ
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