たものだから、吾々くらいの年輩の日本人の頭からは、容易にこれを奪い去る事ができない。余は平生事に追われて簡易な俳句すら作らない。詩となると億劫《おっくう》でなお手を下《くだ》さない。ただ斯様《かよう》に現実界を遠くに見て、杳《はるか》な心にすこしの蟠《わだかま》りのないときだけ、句も自然と湧《わ》き、詩も興に乗じて種々な形のもとに浮んでくる。そうして後《あと》から顧みると、それが自分の生涯《しょうがい》の中《うち》で一番幸福な時期なのである。風流を盛るべき器《うつわ》が、無作法《ぶさほう》な十七字と、佶屈《きっくつ》な漢字以外に日本で発明されたらいざ知らず、さもなければ、余はかかる時、かかる場合に臨んで、いつでもその無作法とその佶屈とを忍んで、風流を這裏《しゃり》に楽しんで悔いざるものである。そうして日本に他の恰好《かっこう》な詩形のないのを憾《うら》みとはけっして思わないものである。
六
始めて読書欲の萌《きざ》した頃、東京の玄耳君《げんじくん》から小包で酔古堂剣掃《すいこどうけんそう》と列仙伝《れつせんでん》を送ってくれた。この列仙伝は帙入《ちついり》の唐本《
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