である。
したがって「思い出す事など」の中に詩や俳句を挟《はさ》むのは、単に詩人俳人としての余の立場を見て貰うつもりではない。実を云うとその善悪などはむしろどうでも好《い》いとまで思っている。ただ当時の余はかくのごとき情調に支配されて生きていたという消息が、一瞥《いちべつ》の迅《と》きうちに、読者の胸に伝われば満足なのである。
秋の江《え》に打ち込む杭《くい》の響かな
これは生き返ってから約十日ばかりしてふとできた句である。澄み渡る秋の空、広き江、遠くよりする杭の響、この三つの事相《じそう》に相応したような情調が当時絶えずわが微《かす》かなる頭の中を徂徠《そらい》した事はいまだに覚えている。
秋の空|浅黄《あさぎ》に澄めり杉に斧《おの》
これも同じ心の耽《ふけ》りを他《ほか》の言葉で云い現したものである。
別るるや夢一筋《ゆめひとすじ》の天の川
何という意味かその時も知らず、今でも分らないが、あるいは仄《ほのか》に東洋城《とうようじょう》と別れる折の連想が夢のような頭の中に這回《はいまわ》って、恍惚《こうこつ》とでき上ったものではないかと思う。
当時の余は西洋の語
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