《あな》の底に寝かされたような心持で、時々暗い中で眼を開《あ》いた。鼻には桐油の臭がした。耳には桐油を撲《う》つ雨の音と、釣台に付添うて来るらしい人の声が微《かす》かながらとぎれとぎれに聞えた。けれども眼には何物も映らなかった。汽車の中で森成《もりなり》さんが枕元《まくらもと》の信玄袋《しんげんぶくろ》の口に挿《さ》し込んでくれた大きな野菊の枝は、降りる混雑の際に折れてしまったろう。
  釣台に野菊も見えぬ桐油|哉《かな》
 これはその時の光景を後から十七字にちぢめたものである。余はこの釣台に乗ったまま病院の二階へ舁《か》き上《あ》げられて、三カ月|前《ぜん》に親しんだ白いベッドの上に、安らかに瘠《や》せた手足を延べた。雨の音の多い静かな夜であった。余の病室のある棟《むね》には患者が三四名しかいないので、人声も自然絶え勝に、秋は修善寺よりもかえってひっそりしていた。
 この静かな宵《よい》を心地《ここち》よく白い毛布の中に二時間ほど送った時、余は看護婦から二通の電報を受取った。一通を開けて見ると「無事御帰京を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公《なかむらぜこう》
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