は句に熱し詩に狂するのあまり、かえって句と詩に翻弄《ほんろう》されて、いらいらすまじき風流にいらいらする結果かも知れないが、それではいくら佳句《かく》と好詩《こうし》ができたにしても、贏《か》ち得《う》る当人の愉快はただ二三|同好《どうこう》の評判だけで、その評判を差し引くと、後《あと》に残るものは多量の不安と苦痛に過ぎない事に帰着してしまう。
ところが病気をするとだいぶ趣が違って来る。病気の時には自分が一歩現実の世を離れた気になる。他《ひと》も自分を一歩社会から遠ざかったように大目に見てくれる。こちらには一人前《いちにんまえ》働かなくてもすむという安心ができ、向うにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。そうして健康の時にはとても望めない長閑《のど》かな春がその間から湧《わ》いて出る。この安らかな心がすなわちわが句、わが詩である。したがって、出来栄《できばえ》の如何《いかん》はまず措《お》いて、できたものを太平の記念と見る当人にはそれがどのくらい貴《とうと》いか分らない。病中に得た句と詩は、退屈を紛《まぎ》らすため、閑《かん》に強《し》いられた仕事ではない。実生活の圧迫
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