い。詩にせよ句にせよ、病中にでき上ったものが、病中の本人にはどれほど得意であっても、それが専門家の眼に整って(ことに現代的に整って)映るとは無論思わない。
けれども余が病中に作り得た俳句と漢詩の価値は、余自身から云うと、全くその出来不出来に関係しないのである。平生《へいぜい》はいかに心持の好くない時でも、いやしくも塵事《じんじ》に堪《た》え得るだけの健康をもっていると自信する以上、またもっていると人から認められる以上、われは常住日夜《じょうじゅうにちや》共に生存競争裏《せいぞんきょうそうり》に立つ悪戦の人である。仏語《ぶつご》で形容すれば絶えず火宅《かたく》の苦《く》を受けて、夢の中でさえいらいらしている。時には人から勧められる事もあり、たまには自《みずか》ら進む事もあって、ふと十七字を並べて見たりまたは起承転結《きしょうてんけつ》の四句ぐらい組み合せないとも限らないけれどもいつもどこかに間隙《すき》があるような心持がして、隈《くま》も残さず心を引《ひ》き包《くる》んで、詩と句の中に放り込む事ができない。それは歓楽を嫉《ねた》む実生活の鬼の影が風流に纏《まつわ》るためかも知れず、また
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