病に因って纔《わず》かに享《う》けえたこの長閑《のどか》な心持を早くも失わんとしつつある。まだ床《とこ》を離れるほどに足腰が利《き》かないうちに、三山君に遺った詩が、すでにこの太平の趣をうたうべき最後の作ではなかろうかと、自分ながら掛念《けねん》しているくらいである。「思い出す事など」は平凡で低調な個人の病中における述懐《じゅっかい》と叙事に過ぎないが、その中《うち》にはこの陳腐《ちんぷ》ながら払底《ふってい》な趣《おもむき》が、珍らしくだいぶ這入《はい》って来るつもりであるから、余は早く思い出して、早く書いて、そうして今の新らしい人々と今の苦しい人々と共に、この古い香《かおり》を懐《なつ》かしみたいと思う。
五
修善寺《しゅぜんじ》にいる間は仰向《あおむけ》に寝たままよく俳句を作っては、それを日記の中に記《つ》け込《こ》んだ。時々は面倒な平仄《ひょうそく》を合わして漢詩さえ作って見た。そうしてその漢詩も一つ残らず未定稿《みていこう》として日記の中に書きつけた。
余は年来俳句に疎《うと》くなりまさった者である。漢詩に至っては、ほとんど当初からの門外漢と云ってもい
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