んいた。やがて輿を竪《たて》に馬車の中に渡して、前後相対する席と席とで支えた。あらかじめ寸法を取って拵《こし》らえたので、輿はきっしりと旨《うま》く馬車の中に納った。馬は降る中を動き出した。余は寝ながら幌《ほろ》を打つ雨の音を聞いた。そうして、御者台《ぎょしゃだい》と幌の間に見える窮屈な空間から、大きな岩や、松や、水の断片をありがたく拝した。竹藪《たけやぶ》の色、柿紅葉《かきもみじ》、芋《いも》の葉、槿垣《むくげがき》、熟した稲の香《か》、すべてを見るたびに、なるほど今はこんなものの有るべき季節であると、生れ返ったように憶《おも》い出しては嬉《うれ》しがった。さらに進んでわが帰るべき所には、いかなる新らしい天地が、寝ぼけた古い記憶を蘇生せしむるために展開すべく待ち構えているだろうかと想像して独《ひと》り楽しんだ。同時に昨日《きのう》まで※[#「彳+低のつくり」、第3水準1−84−31]徊《ていかい》した藁蒲団《わらぶとん》も鶺鴒《せきれい》も秋草も鯉《こい》も小河もことごとく消えてしまった。
[#ここから2字下げ]
万事休時一息回[#「万事休時一息回」に白丸傍点]。 余生豈忍比残灰[#
前へ
次へ
全144ページ中138ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング