いた。
病の癒《い》えた今日《こんにち》の余は、病中の余を引き延ばした心に活きているのだろうか、または友人と食卓についた病気前《びょうきぜん》の若さに立ち戻っているだろうか。はたしてスチーヴンソンの云った通りを歩く気だろうか、または中年に死んだ彼の言葉を否定してようやく老境に進むつもりだろうか。――白髪と人生の間に迷うものは若い人たちから見たらおかしいに違ない。けれども彼等若い人達にもやがて墓と浮世の間に立って去就を決しかねる時期が来るだろう。
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桃花馬上少年時[#「桃花馬上少年時」に白丸傍点]。 笑拠銀鞍払柳枝[#「笑拠銀鞍払柳枝」に白丸傍点]。
緑水至今迢逓去[#「緑水至今迢逓去」に白丸傍点]。 月明来照鬢如糸[#「月明来照鬢如糸」に白丸傍点]。
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三十二
初めはただ漠然《ばくぜん》と空を見て寝ていた。それからしばらくしていつ帰れるのだろうと思い出した。ある時はすぐにも帰りたいような心持がした。けれども床の上に起き直る気力すらないものが、どうして汽車に揺られて半日の遠きを行くに堪《た》え得ようかと考えると、帰りた
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