然として同じ性情に活きつつある自己を悟ったりするので、スチーヴンソンの言葉ももっともと受けて、今日《きょう》まで世を経《へ》たようなものの、外部から萌《きざ》して来る老頽《ろうたい》の徴候を、幾茎《いくけい》かの白髪に認めて、健康の常時とは心意の趣《おもむき》を異《こと》にする病裡《びょうり》の鏡に臨んだ刹那《せつな》の感情には、若い影はさらに射《さ》さなかったからである。
 白髪に強《し》いられて、思い切りよく老《おい》の敷居を跨《また》いでしまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷《ちまた》に徘徊《はいかい》しようか、――そこまでは鏡を見た瞬間には考えなかった。また考える必要のないまでに、病める余は若い人々を遠くに見た。病気に罹《かか》る前、ある友人と会食したら、その友人が短かく刈《か》った余の揉上《もみあげ》を眺めて、そこから白髪に冒《おか》されるのを苦にしてだんだん上の方へ剃《す》り上《あ》げるのではないかと聞いた。その時の余にはこう聞かれるだけの色気は充分あった。けれども病《やまい》に罹《かか》った余は、白髪《しらが》を看板にして事をしたいくらいまでに諦《あきら》めよく落ちついて
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