く思い出した時、始めて蜀紅葵《しょっこうあおい》とか云う燃えるような赤い花弁《はなびら》を見た。留守居の婆さんに銭《ぜに》をやって、もっと折らせろと云ったら、銭は要《い》りません、花は預かり物だから上げられませんと断わったそうである。余はその話を聞いて、どんな所に花が咲いていて、どんな婆さんがどんな顔をして花の番をしているか、見たくてたまらなかった。蜀紅葵の花弁《はなびら》は燃えながら、翌日《あくるひ》散ってしまった。
 桂川《かつらがわ》の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべての中《うち》で最も単簡《たんかん》でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空《くう》に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子《ひがし》に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。範頼《のりより》の墓守《はかもり》の作ったと云う菊を分けて貰って来たのはそれからよほど後《のち》の事である。墓守は鉢に植えた菊を貸して上げようかと云ったそうである。この墓守の顔も見たかった。しまいには畠山《はたけやま》の城址《しろあと》からあけびと
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