ほど応用の範囲の狭いものになる。それを一般に行《ゆ》き亘《わた》って実行のできる大主義のごとくに説き去る彼は、学者の通弊として統一病に罹《かか》ったのだと酷評を加えてもよいが、たまたま文芸を好んで文芸を職業としながら、同時に職業としての文芸を忌《い》んでいる余のごときものの注意を呼び起して、その批評心を刺戟《しげき》する力は充分ある。大患に罹《かか》った余は、親の厄介になった子供の時以来久しぶりで始めてこの精神生活の光に浴した。けれどもそれはわずか一二カ月の中であった。病《やまい》が癒《なお》るに伴《つ》れ、自己がしだいに実世間に押し出されるに伴れ、こう云う議論を公けにして得意なオイッケンを羨《うら》やまずにはいられなくなって来た。
二十八
学校を出た当時小石川のある寺に下宿をしていた事がある。そこの和尚《おしょう》は内職に身の上判断をやるので、薄暗い玄関の次の間に、算木《さんぎ》と筮竹《ぜいちく》を見るのが常であった。固《もと》より看板をかけての公表《おもてむき》な商買《しょうばい》でなかったせいか、占《うらない》を頼《たのみ》に来るものは多くて日に四五人、少な
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