つ》けなければならない。公平と云う美しそうな徳義上の言葉を裏から言い直すと、器械的と云う醜い本体を有しているに過ぎない。一分《いっぷん》の遅速なく発着する汽車の生活と、いわゆる精神的生活とは、正に両極に位する性質のものでなければならない。そうして普通の人は十が十までこの両端を七分三分《しちぶさんぶ》とか六分四分《ろくぶしぶ》とかに交《ま》ぜ合《あ》わして自己に便宜《べんぎ》なようにまた世間に都合の好いように(すなわち職業に忠実なるように)生活すべく天《てん》から余儀なくされている。これが常態である。たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とするような場合ですら、その芸術が職業となる瞬間において、真の精神生活はすでに汚《けが》されてしまうのは当然である。芸術家としての彼は己《おの》れに篤《あつ》き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高《うれだか》の多いものを公《おおや》けにしなくてはならぬからである。
 すでに個人の性格及び教育次第で融通の利《き》かなくなりそうなオイッケンのいわゆる自由なる精神生活は、現今の社会組織の上から見ても、これ
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