だか》まって、じっと持《も》ち応《こた》えられない活力を、自然の勢から生命の波動として描出《びょうしゅつ》し来《きた》る方が実際|実《み》の入《い》った生《い》き法《かた》と云わなければなるまい。舞踏でも音楽でも詩歌《しいか》でも、すべて芸術の価値はここに存していると評しても差支《さしつか》えない。
けれども学者オイッケンの頭の中で纏《まと》め上げた精神生活が、現に事実となって世の中に存在し得るや否やに至っては自《おのず》から別問題である。彼オイッケン自身が純一無雑に自由なる精神生活を送り得るや否やを想像して見ても分明《ぶんみょう》な話ではないか。間断なきこの種の生活に身を託せんとする前に、吾人は少なくとも早くすでに職業なき閑人として存在しなければならないはずである。
豆腐屋が気に向いた朝だけ石臼を回して、心の機《はず》まないときはけっして豆を挽《ひ》かなかったなら商買《しょうばい》にはならない。さらに進んで、己《おの》れの好いた人だけに豆腐を売って、いけ好かない客をことごとく謝絶したらなおの事商買にはならない。すべての職業が職業として成立するためには、店に公平の灯《ともし》を点《
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