友にそれを想像で食わして喜こんだ。今考えると普通のものの嬉しがるような食物《くいもの》はちっともなかった。こう云う自分にすらあまりありがたくはない御膳《おぜん》ばかりを眼の前に浮べていたのである。
 森成さんがもう葛湯《くずゆ》も厭《あ》きたろうと云って、わざわざ東京から米を取り寄せて重湯《おもゆ》を作ってくれた時は、重湯を生れて始めて啜《すす》る余には大いな期待があった。けれども一口飲んで始めてその不味《まず》いのに驚ろいた余は、それぎり重湯というものを近づけなかった。その代りカジノビスケットを一片《ひときれ》貰った折の嬉《うれ》しさはいまだに忘れられない。わざわざ看護婦を医師の室《へや》までやって、特に礼を述べたくらいである。
 やがて粥《かゆ》を許された。その旨《うま》さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。それからオートミールが来た。ソーダビスケットが来た。余はすべてをありがたく食った。そうして、より多く食いたいと云う事を日課のように繰り返して森成さんに訴えた。森成さんはしま
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